礼儀

良く武道を稽古すれば礼儀が身に付くと思っている人が居るが、それは正解でもあり不正解でもある。武道を学べば何かしらの礼儀は身に付く可能性が高いが、礼儀の本質や意味、機能を修行者自身がきちんと考え、向き合ってこそその礼儀は本質的に身に付くのであって、道場で外から形式的に教えられて身に付けた礼儀は付け焼刃であり、本質的な礼儀ではないと私は考える。武道の形と同じく、ソレが何を表したものなのか、何のために行うのか、自分事として考え、実際に取り組んで初めて本質として身に付いてと言えるのではないだろうか。

武道の技術には先人の知恵が多く含まれており、手渡しの部分も多い。その様な状況で、無礼な人間に好んで伝えられた技術を丁寧に教えようとする人は多くはないはずだ、しかし、形式的に礼儀をわきまえている様にふるまっている人間を教える側が心の打算や教わる為のポーズを取っている事をきちんと見抜けるかと言うと難しい。そもそも、武道を集団生活と取れる程入れ込んで価値をもって稽古に臨んでいる者と、複数ある運動の一つとして武道をただ選んだにすぎない者や、技術だけ短期間で習得したい者では立場が違い過ぎて比べられない。武道のみならず、それに大きな価値を感じていれば、関わる時間も長くなり、その場所で関わる人との関係性もまた重要になる。自分にとって興味がある分野で人から援助を受けたり、交流を繰り返していけばそこに親愛や尊敬が生じ、それなりの礼節は身に付き易くはなる。もちろん親愛にはなあなあな甘えも発生しやすくなる面も否定できないのだが…。技術に固執して自己中心的であったり、それなりに礼儀の形は練れていても人より上位に自分を置きたい欲に駆られていれば、その意図は周囲に漏れやすくなり、その礼儀はどこか胡散臭い物になる。この辺りは礼儀のみではなく武道との付き合い方や、物の考え方等の影響も強い。

武道で礼儀が身に付きやすい背景としては、力関係がはっきりし易く、武道と言う分野が高い水準の礼儀を求める事が多い事が関係している気がする。動物的本能が単に立場が上の者から求められた礼儀より、自分が認めた相手に対しての方が礼儀を発揮し易かったり、武道の場が甘えを表現しにくくしている事もあるかも知れない。

私の考えでは武道を嗜むことで人と不要な諍いを起こさない程度の表面的礼儀を身に付ける事は可能であるが、本格的に身に付けるには礼儀それ自体が必要であると感じる本人の資質と、努力が無ければ難しいのでないかと私は感じている。